もしもエッセイがラブレターなら
午後8時過ぎ、大半の部活が終わった放課後のロッカーは静まり返っている。日中の喧騒が嘘のように。
一度ぐるりと周囲を見渡す。念のため、もう一度。よし、誰もいない。和紙に薄い花柄のついた小さな便箋をそっと鞄から取り出す。皺にならないよう、そっと。
ついにこの時が来た。結果がどうあれ、ここまで勇気を出した自分を褒めてあげたい。でも、やっぱり本音を言えば、上手く行ってほしいに決まってる・・・
そんなことを考えながら、扉のくぼみに手をかけた。
ガッサアァァアァァァァァアアアァァァァァァァアアァァアァァアア!!!!!
さくらちゃんの下駄箱から溢れ出す無数の便箋達。その数たるや5,000を下らないだろう。床は無数の便箋に埋もれ、もはや夢の島埋立場の様相を呈してきた。
これが、学園のアイドル・さくらちゃんの人気・・・!!!!
便箋の一つを手を取ってみる。なんと、ちょっぴりレトロなアニメ好きのさくらちゃんに合わせて涼宮ハルヒのシールで便箋を綴じているではないか。文具好き心をくすぐるモンブランの万年筆を同封しさくらちゃんの手首の疲労を最小限に抑える気づかいを見せる者や、千疋屋のマンゴー丸ごとをお届けし甘党さくらちゃんの味蕾を破壊せんとする強者も。ディズニー好きで名を馳せるさくらちゃんの理想のデート像を友人経由で調べあげ、「既に、京葉線、TDL、そしてホテルミラコスタを貸し切りました」と前のめり感が地面陥没すれすれの者さえいる。
これだけの数がある上、そして、誰しもが徹底したリサーチ(ストーキング)の上に必殺の一撃を込めている。もはや開封してもらうだけで一苦労、その上、目を通してもらい、更に素敵と思わせて、あわよくばデートに漕ぎつけるなど指南の技なのだ・・・。
そう、MBAのエッセイも同じだ。
それは、学園のヒロインをラブレターのみで仕留める行為に等しい。MBAの場合、相手は人間ではないから、あわよくば同じクラスになって・・・、同じ部活に入って・・・、友達同士でカラオケに行って・・・、と言ったチャンスはほぼない。そもそも外見は評価対象ではないし、あなたの性格を含めた実力は、紙一枚で表現するしかない。
そして、この勝負はあなたがイケメン・イケウーメンであればあるほど難しい側面がある。大学受験、就活、転職、はたまたMBA社費選考まで、様々な場面で相応の実績を残してきたし、それに見合う実績があるからこそ、MBA受験という大仕事に向き合っているに違いない。しかしながら忘れがちなことは、相手も同じような経験値、職業人としての高い意識を有しているからこそ、あえて大金を払ってMBA受験を目指しているという事実だ。しかも、日本だけでなく世界中から。いかにあなたが素晴らしい3Pポイントシューターであっても、相手が全員山王工業出身者であれば勝つのは容易ではない、そういうことだ。
更にややこしいのは、受験を始めたタイミングから自分を変えることは出来ないということだ。あなたの実力を示す仕事や私生活における「実績」も、MBAやその先を見据えた「動機」も過去の経験に根ざす他ないから変えることは出来ない。キテレツを買収して抗時機を使うだけのヒューマンスキルと財力があるのであればそもそもMBAに行く必要などいないだろう。
しかし、今からでも簡単に、そして、劇的にBeforeとAfterをリフォーム出来ることが2つだけある。
それがエッセイの「書き出し」と「学校への貢献方法」だ。
けっ、またもったいぶったこと言いやがって?俺の両親は太宰治と芥川龍之介だ。徹底的な英才教育を施され、3歳から漢文を読み下し、5歳でラップ、10歳でサランラップまで極めた男だぞ?そんな俺に文章の講釈たぁ、大した度胸じゃねぇか?
という方には必要ありませんが、それ以外の人には何かしら役に立つかもしれません。
友人から「さくらちゃんは、なんでも引っ張ってくれるタイプの人が良いみたいよ?」とアドバイスをもらったら、どうラブレターを書きだすだろうか?ともすれば、こう始めるかもしれない。
「さくらちゃん、ずっと前からあなたのことが好きでした。僕と付き合ってもらえないでしょうか?お付き合いしたら、しっかりさくらちゃんをリードしていく自信があります。自分で言うのもあれですが、小・中と続けてきたバスケットボールではずっと主将で、周りを引っ張る経験をたくさん積んできました。お付き合いという形で通用するかは分かりませんが、とにかく精一杯頑張ります」
全然ダメだ。バスケットボールうんぬんの問題ではない。書き出しがぬるいのである。ずっと前から好きなのは自明だし、ラブレターなんだから付き合って欲しいのも言うまでもない。そして、「引っ張ってくれるタイプ」を求めている相手に対して、「引っ張っていけます」と言うのでは何の芸もない。それは自分で言うものではなく、文章の中から滲み出させるものだという論点もあるが(これを英語で”show, don’t tell”と言ったりする)、それ以上に、万人が考えうる安直な回答を書いては、5,000通のラブレターのうちのしがない1通にしかならないということだ。
例えば、こんな書き出しはどうか。
「キャプテン、俺たちが間違ってたよ。明日からはドリブル練14時間、しっかりやろう」
真夏の蒸し風呂のような体育館で、汗ぐっしょりになった僕らは、最後の最後に、ようやく分かり合えたのでした。
・・・
これは情景から始めてみる、という作戦である。相手をストーリーのど真ん中に引きずり込むことで、「続きを読みたい!」と思わせる技だ。ここからどうやってさくらちゃんへの愛に結び付けるのかさっぱり不明だが、とにかく続きを読ませることは出来るはずだ。
こんな書き出しもあり得るだろう。
6万人・・・ざっとこんなところでしょうか?
・・・
気になる。気になりすぎる。たった一人への愛を伝えるラブレターの冒頭が6万人とはスケールが違いすぎる。これは、数字を示す、という作戦だ。たけし(仮名)は6万人の傭兵部隊を率いて、カムカッチャ共和国第二の首都チュッパチャスップをゲリラから奪還した時の経験を基に「さくらちゃんをいかなるシチュエーションでも引っ張っていける」という主張を立論しようと目論んでいるのだが、その中でもインパクトのある数字を提示することで、この経験の質の高さを際立たせている。
こんな言い方も出来るかもしれない。
「弱気で、引っ込み思案な程、実は相手を引っ張るのが上手いって知ってました?」
・・・
意表を突くという作戦だ。開口一番、相手の常識・固定観念を徹頭徹尾破壊している。「引っ込む」と「引っ張る」が共存するその鮮烈なパラドックスに、さくらちゃんも瞬く間に恋のラビリンスに迷い込むに違いない。
更にもう少しひねりを加えても良いかもしれない。
春の羽毛のように柔らかで、秋のそよ風のように凛としている。
そんな男です。僕は。
・・・
ただの変態だ。そこに疑いの挟みようはない。しかし、ポイントはそこではない。比喩を使うというマジックが、ここには隠れている。相手を引っ張るという点で有効かは別にして、白毛のアヒル面したおっさんが風に揺られて北東に流されていく様をイメージしてしまったのではないだろうか?それほどに比喩というのは、相手に強烈な映像を惹起させる。そうなればしめたもの、さくらちゃんは最後まで読まずにはいられないはずだ。
そして、もう一つ忘れてはならないのが、「学校への貢献」だ。これは、付き合ったらどんな良いことがあるのか?に相当する。相手を引っ張ってくれる人が好きなさくらちゃんに、「付き合ったら良いことがある」と思わせるには、周到なデートプランがあると思わせるのが一つの作戦だろう。だとすれば、こんな文章で攻めるかもしれない。
さくらちゃん、お付き合いしたら是非TDLに一緒に行きたいなと思います。僕もディスニーは昔から好きで年5回は行ってるので、かなり効率的かつ楽しく回れますよ!
全く踏み込みが足りない。
僕は浦安生まれ、ディズニーストア育ち、メルヘンなやつとは大体友達。お付き合いしたら無論、TDLに行きましょう。既に、京葉線、TDL、そしてホテルミラコスタを貸し切りました。
最低限このくらいはやって欲しいのである。要するに、何かをやるというからには、出来る限界までやっておこうということだ。「こういう経験があるから、こう貢献出来る」というのは、どれほど確からしい経験に基づいていても、推測や希望的観測に過ぎない。入学する前の今の時点で、その貢献を出来る限りセットしておくことが、「お、こいつやりそうだな」と思わせる、すなわち、何千通の他エッセイの中で抜きんでる鍵なのである。京葉線、TDL、ホテルミラコスタまで貸し切ったとなれば、付き合った暁には東京ディズニーリゾート三昧のデートが出来るに違いないと確信出来るが、「ディズニー好きなので、大丈夫です」と言われても、大して説得力がないのだ。
ということで、「情景」「数字」「常識破り」「比喩」「貢献への踏み込み」、これらのエッセンスを駆使して、エッセイに仕上げのブラッシュアップをして頂ければと思います。最後に、お手本として、完成版・さくらちゃんへのラブレターを掲載しておきます。
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6万人・・・ざっとこんなところでしょうか?
これは私が小・中とキャプテンを務めたバスケットボールチームで束ねてきたチームメンバーの数です。
ある者は浦安生まれ、ある者はディズニーストア育ち、そしてまた別の者はラップのリズムに乗って「メルヘンなやつとは大体友達」と言い出す始末・・・
価値観も、家庭環境も、そしてポジションもてんでばらばらの私たちは、もはやチームとは言えない状態でした。政令指定都市と言っていいくらいです。
ある日の練習中、ポイントガードの流川彦一が、突拍子もないことを言いだします。
「お付き合いしたら無論、TDLに行きましょう。」
誰と、誰の、お付き合いなのか。そして、なぜ「無論」と比較的強気の論調なのか。全く事態が呑み込めず困惑する僕に彦一はさらに畳みかけます。
「既に、京葉線、TDL、そしてホテルミラコスタを貸し切りました。」
早い。仕事が早すぎる。こちらが相槌も打つ間もないうちに、会場はおろか移動手段まで押さえたというのか。ホテルミラコスタでは6万人は到底収容出来ないという点を除いては、完璧という他ないロジスティクスでした。
私はすかさず、その点を詰めました。
「ホテルミラコスタの延べ床面積は46,000㎡。キッチン、用務室、事務棟全てに人間を敷き詰めたとして、0.76㎡/人だ。人間を、タテ・ヨコ8.7cmずつのスペースに圧縮する必要がある。構わないかい?」
しばしの沈黙の後、彦一が再び口を開きました。
「キャプテン、俺たちが間違ってたよ。明日からはドリブル練14時間、しっかりやろう」
真夏の蒸し風呂のような体育館で、汗ぐっしょりになった僕らは、最後の最後に、ようやく分かり合えたのでした。
春の羽毛のように柔らかで、秋のそよ風のように凛としている。
そんな男です。僕は。
さくらちゃん、付き合って下さい。 たけし(仮名)
(完)