さらばUber

f:id:billy-o:20180819025420j:plain

 

Uber?そんなもんFu〇ckだ

 

 

 

タクシー産業が強い日本では未だに馴染みが薄いUberだが、ここナイロビでは既に一定層の生活の足として完全に定着している。かくいう私も2カ月滞在した去年も、基本永住になる今回も、毎日2-3回は乗り回している。3年前にナイロビに上陸してから破竹の勢いで規模を拡大し、あっと言う間に二万台に近い登録台数に達した。

 

Uberはとにかく便利だ。アプリを開いて1秒未満で付近のドライバーが地図にマッピングされる。ピックアップ場所を指定し(通常は現在地)、目的地をタイプすれば自動的に付近にいるドライバーとマッチングされる。ちなみに地図情報もかなり詳細に登録されているので、最初の数文字を入力するだけで行きたい目的地がきちんと表示される。なんとか商店、みたいなマニアックなものでも、だ。

 

ドライバーとマッチングされたら、最大でも5分までばドライバーがやってくる。値段はUberが距離や時間帯、需給に基づいて勝手に計算するので、運転手と値段交渉する必要がない。途上国でタクシーに乗るときにはこの交渉が本当に面倒だった。そして、目的地に着いたら事前に登録していたクレジットカードから勝手に料金が引き落とされるので、お金の支払いも発生しない。現金を持たずしてタクシーに乗れるのだ。ナイロビ市内であればだいたいどこでも数台はうろうろしているので、タクシーのように大通りに出て、手を振って捕まえなければならないということもない。早い、安い、手間なしと良いことづくめのサービスなのだ。アメリカ時代からUberを使いまくっている私としては、アイラブUberと毎日叫びたいくらいだ。

 

 

しかし、まったく違う声が反対側聞こえるのだ。

 

 

 

Uber?そんなもんFu〇ckだ

 

 

そう叫んでいるのは一人や二人ではない。というか、私がこちらに来てからほぼ全てのUberドライバーがそう言っている。

 

 

この半年でナイロビ市内のドライバーはUberボイコット作戦を全土で実施している。

 

ウーバーの客からリクエストがくるとキャンセルをくりかえす、乗車中にひどい対応をする、客と集合した時点で「Taxify(競合他社)持ってる?」と聞きUberのリクエストをキャンセルさせてTaxifyでリクエストさせる、等々、とにかくUberのユーザーが不快な思いをするようにせっせとハラスメントをくりかえしている。

 

 

 

この怒りの理由はUberの現地人ドライバーを鑑みない態度で、この1年程で競合との競争が激化し値段を相当切り下げたのだが、それが運転手の収支に直撃していることだ。運転手は自分で値段を決められないので、値段が下がればその分実入りが減る。さらに拍車をかけるように、ガソリン価格がこの半年で10-15%程上昇した。Uberは値段の25%を持っていくので、もはやドライバーには殆ど利益が残らない状況になっている。我々は殆ど稼ぎがないのに、お前らはそれでも25%を持っていくのか?というのが彼らの怒りの根源だ。さらにはこうした怒りをUberのオフィスにぶつけてもほとんど返答がないらしい。

 

最近になって、ドライバーは自主的にUNIONを結成した。UNIONに参加するドライバーを地区に割り振り営業範囲を決めることで競争激化を避けると共に、毎週会合を行って、Uberへのハラスメント作戦を話し合っているそうだ(今日はたまたまナイロビ東地区のリーダーのドライバーが運転手だった)。

 

 

What do you think about Uberとドライバーに聞くと大体の場合、I hate themと答える。更にひどい場合は、I hate Americaとまで言う人もいる。They want to use us as slavesと。

 

 

この状況をUberケニアがどう捉えているか分からない。そうは言っても、どうせUNIONやぶりの輩はいるし、I hate Uberと言いつつもUberを使っているドライバーがいる限りは負けないと思っているのかもしれない。

 

 

ふと気が付くと私もこの三日くらいはUberを使わなくなっていた(代わりにTaxifyを使っている。こちらはエストニアの会社だ)。

 

現地のドライバーがこんなにも怒っているサービスを使って良いものか、という気がしてきたのもある。

 

あれだけI love Uberだった私がUberを使わなくなっているというのは、もしかすると同じような人が結構出てきているのではないかと思う。事実、私自身、別のユーザーに「最近Uberはハラスメントが多いらしいですよ」などと呟いていたりする。そうこうするうちにTipping pointが訪れて、ユーザーもドライバーも、一気にUberを捨て去る時が来るのかもしれない。

 

今、ケニアは一部の間でSilicon Savannahと騒がれ多くのスタートアップが生まれつつある。いつかユニコーンが生まれるんじゃないか、そんな期待感もありつつ、実態は現地人ではなく欧米人が、欧米流のビジネスを、欧米の投資を使って展開しているという域をまだ出ていない。Uberのモデルを見ると、現地でビジネスをさせてもらっているという観点がもしかすると抜けてるんじゃないかという気がしてくる。人の庭で仕事をさせてもらう以上は、そこの関係者にちゃんと満足してもらわないと上手く行かないんじゃないか、欧米スタートアップ流の急拡大・成長モデルは、アフリカだと長期的には成り立たないんじゃないか、そんな教訓をはらんでいる。

 

そんなこんなで生粋のUberファンであった私は、少なくともナイロビではもうUberには乗らない。

 

 

さらばUber

 

 

 

 

 

 

ナイロビは北斗の拳ではない

「ナイロビ 治安」とググるとこういった記事が出てくる

 

liliki.net

 

isshu-sekai.com

 

さながら、ひゃっはぁああーーーーああ!!アベシっ!!!ヒデブっ!!!との阿鼻叫喚が聞こえてきそうだ。

f:id:billy-o:20180811160348j:plain

(イメージ)

 

当然先進国に比べて治安は悪い。市内の公園で特にやることもないしお金もない御仁がひがな一日お昼寝をする様子はさながら、海岸のアシカさんだ。

 

f:id:billy-o:20180811152633j:plain

(イメージ)

でもね、それがナイロビの全てではない。

 

まずショッピングモールはデカくて綺麗だ。

こちらは市内南西部にあるJunction Mall

f:id:billy-o:20180811160512j:plain

(先週の土曜日、子供のbouncing castleが設置されていた)

f:id:billy-o:20180811160738j:plain

 

 

そして街はマンション建設ラッシュだ。

f:id:billy-o:20180811161120j:plain f:id:billy-o:20180811161138j:plain f:id:billy-o:20180811161148j:plain

こんな感じの真新しいマンションが至るところにある。

 

肌感覚では看板広告の7割はマンション売り出しに関するものだ。

f:id:billy-o:20180811161558j:plain f:id:billy-o:20180811161705j:plain f:id:billy-o:20180811161607j:plain

真ん中の写真を良く見ると"a little extra investment"とある。つまり、余裕資金の投資先として不動産が活況を見せているということがわかる。

部屋のサイズや立地によってまちまちだが、10~60百万ケニアシリングくらいがよく見かける価格帯だ。1ケニアシリング=1.1円くらいなので、結構なお値段である。

一説によると、汚職官僚や政治家がしこしこため込んだ資金を不動産購入に振り向けているらしい。本当か気になるところだ。

 

いずれにせよ、バギーに乗った盗賊がひゃっはぁあappaeeazdk!!!と言いながら青龍刀を持って女・子供を襲う、といったことはナイロビでは少なくとも発生していない。

 

ナイロビ良いとこ、一度はおいで。

 

 

なめてましたすみません(1)英語はやっぱり大事

総合商社で金属資源系の貿易・事業投資を4年程経験した後、カリフォルニアの地に降り立ちました。生まれが貧乏な上に妻子持ちで私費なので更に貧乏です。ビジットされても大したものはご馳走できません!海外経験としては、過去に2年間ボツワナ共和国(アフリカ)住んでましたが、アメリカは初めてです。

 

さて、早速ですが、懺悔します。

 

なめてました。

 

色々なめていたんですが、まずは英語。2年アフリカに住んでたし(日本大使館に勤務)、仕事でも使ってたし、TOEFLも結構良い点数だし、まぁ余裕だろと思っていました。そんな私に喝だっ!!(サンデー〇ーニング)と言ってやりたい。

 
想像してみよう。

 

日本とは文化的にも言語的にもかけ離れたナメック共和国出身のバータック君は、日本語が公用語であるパラオ共和国アウンガル州でインターンした経験から日本語が得意だ。帰国後はナメック共和国の大手貿易会社三位物産に勤務し、海外支店の同僚や世界の取引先と世界のビジネス共通語たる日本語で丁々発止やりとりをしてきた。最近は人気ドラマ「花より談合」も2シリーズ字幕無しで制覇し、部署内で日本語で右に出るもの無しのバータック無双。そんな彼はついに憧れの日本留学の切符を手にし、東京の西の雄、二橋大学へ経営学を学び行くことになった。

 

「これほど日本の経験値を積んだものは他にあるまい・・・スカウターで言えばボンっ!!だ。取りうるすべてのクラス、目に映るすべてのクラブ、そして待ち受けるすべての課外活動でリーダーシップポジションを手中にし、リーダーオブリーダーとして武蔵野の地に君臨するのだ・・・!!」

 

日本到着初日、バータック君は予想だにしない一撃をくらうことになる。

 

「タイガースと巨人どっち好きやねん?」

 

正面の真関西空港職員はそう言い放った。

 

タイガース?武器かなにかだろうか?いやいや、私はただの留学生で御国に武器弾薬を持ち込もうだなんて思っちゃおりませんよ・・・ 巨人てなんだ?大きい人という意味だったような気がするが・・・そして、好きやねんとはなんだ?好きじゃないということか?この人は、「武器も、大きい人も、どっちも嫌だよ、平和にとって良くないよ」というロビイストなんだろうか?みんな違ってみんないい、が答えなのか?

バータック君は困惑した。空港職員の発言の支離滅裂さに、そして空港職員から業務に関係ないことを話かけられていることに、そして、日本到着のその瞬間から困惑してしまっている自分に。

 

こんなはずでは・・・!

 

空港職員との禅問答の、砂をかむようなあの感触を抱きながら、バータック君はPre-MBA(本格的な授業が始まる前の導入的な授業)初日を迎えた。Communication論の教授はアイスブレークとして、自分について知っていて欲しいことを三つ書き出し、2人ペアになって発表したあと、相手の三項目を再現してみましょう、と指示をした。

 

さわやかそうな日本人男性とペアを組み早速自己紹介。

「ナメック共和国出身です。むかし、2年パラオに住んでました。そこで日本語を勉強しました。花より談合が好きです。シリーズ1の最後のシーンは3,842回は見ました・・・」

意気揚々と説明するバータック君に続き、日本人男性が自己紹介・・・

「山崎と言います。まず出身ですね。生まれは長崎、長崎と言っても島原ですね。天草史郎のやつです、隠れキリシタンのね。ははっ。その後すぐに大阪の堺市に移ったので、気質的には関西人です。私もドラマは好きですよ。ちょっと古いですが、名作といえば白い巨塔ですかね。山崎豊子の原作の力強さもさることながら、出演陣の豪華さに驚かされます。仕事は監査法人勤務で、公認会計士として主に上場企業の監査業務全般を担当しています。まだ4年目なので下っ端ですね、それから・・・」

 

 

ボンっ!!

 

 

完全に分からない。固有名詞が多すぎてなんの話か分からない。いや、固有名詞以前に話すスピードが速すぎる。かろうじて単語が拾える程度だ・・・

 

「それでは相手の説明を繰り返してあげてください」

 

 

まずいっ!!

 

 

「どうしましょうか?バータックさん、私の自己紹介、リピートしてもらえますか?」

 

やばいっ!でも、逃げるわけにも・・・!!

 

 

「はい、もちろんです」

 

 

「長崎さんは、島原で生まれました。内緒のキリシタンでしたが、あとで関西人になりました。テレビドラマが好きです。白い・・・あの、白い・・・白い豊子がすごく好きです。すごく豪華ですから。すごく驚きです。お仕事は、関西人で・・・でも、法人で、関西人兼法人で、4年間下っ端を担当しています」

 

 

「は・・・?」

 

***

 

こういう戦いがMBAでは日々繰り広げられているのです。特にMBA開始直後の数か月間はそうでしょう。

良く良く考えればあたり前です。一日中英語に、しかもネイティブの英語に埋もれ、自分も英語しか使えない環境におかれることは日本ではありえないのですから。表現、発音、リファレンス(アメリカンジョークだったり、有名人の話だったり)は、その文化の中に没入しないと習得しきれないものだと思います。私も一カ月前に、学校のイベントでグループを組んだ際、私以外全員がアメリカ人というメンバーにあたり死にそうになりました。発言頻度は周りの1/900程。ネクラ街道まっしぐら。

スーパー帰国子女でない限りは、コミュニケーションに関する自惚れは捨てましょう。自分が出来ないことを認め、それでもなお!という態度で、他学生の輪の中に突っ込んでいくのが、ドメスティック日本人MBA学生の歩むべき道ではないかと思います。私も日々頑張りたいと思います。

実際のMBAエッセイを見てみませんか?

*1

せっかく前回エッセイについて渾身の駄文をしたためさせて頂いたので、今回は実例をお見せしたいと思います。

なんと私自身のエッセイ。

MBA受験時代、色々な人にアドバイスをもらっている中で、性格が370度捻じ曲がっている私は、「お前はどうやねん?」「あんさんの見せてみーや、ほら」と常に思っていた、ように見せかけて実は全くそんなことは思っていないような笑顔を作るのを鏡の前で必至に練習(*)している間に3時間くらい経ってしまい、あーまたやっちまった性根が腐っとりますで吾輩わ、はっはっは、等と独り事を大声でつぶやきながらも、やばいっ!!こんな調子では本番のエッセイとして夏休みの朝顔観察日記レベルのものをブンsubmitするハメになってしまう!今すぐマックブックをブウーンっとしようっと(´・ω・`)、と思っているところに1歳の娘がうんちをポロ凛子しちゃうもんだから、あーあーしょうがないな、これはしょうがない、11月も後半に差し掛かってMBAのエッセイが一ミリも仕上がってなくてもしょうがない、だって娘がうんちをポロ凛子だもん、なんならいっそエッセイにそのことを書こうかな? こんな感じかなぁ・・・ ”Just unexpectedly has my one-year-old daughter pooped on a thick white carpet in my living room like Poro-Rinko. As always, Pro-Rinko is unexpectable and uncontrollable. Thus my professional passion is to develop and commercialize an AI based computer software to predict exact amount and timing of Pro-Rinko every 2 seconds” うん、いい、すごくいいぞっ!!!面接免除で合格しそうだ・・・!!

(*)これが巷で噂のミラーメソッドだ

この青年の末路はどうあれ、実際のエッセイってどういう感じで仕上がってるんだろう?ノンネイティブが書く文章として、どの程度の内容・表現力・正確性が合格ラインなんだろう?というのは結構気になるところかと思います。

ということで、以下にPDF化しておきましたので、ご自由に活用下さい。固有名詞は適宜架空のものに差し替えておきましたが、基本内容は提出したものと同じです。

https://drive.google.com/file/d/0B1jILOgOp8Rlc1BQekhhMmdMM3c/view?usp=sharing

なんとなくのポイントは以下です。

エッセイ1(歌のやつ)

・書き出しをカッコ良くした

I was 20, shuddering at a totally new life in Africa as the Boeing 777 was heading south above the Sahara Desert.

ボーイング777の機体がサハラ砂漠上空を南に向けて飛んでいる。その時僕は20歳で、これからアフリカで待ち受けているであろう全く新しい生活に、とにかく不安で一杯だった。」

的な感じでしょうか。村上春樹ノルウェーの森」から着想を得ました。笑 話の内容はもちろん実話です。

・歳を重ねることにステップアップしてる感を出した

At 14… At 19… At 21…

果たして上手く行ったのかは謎ですが、最初に年齢を出して、その時に起こった印象的な出来事を記述し、それを自分の成長と重ね合わせるようにしました。「家庭に問題を抱えて若干不良化する」→「生徒会長になって会心」→「アフリカに行く途中で、めげそうになるが持ち直す」→「首相アテンドをやる」→「M&Aの責任者になる」と言った具合です。このエッセイタイプに限らず、何かを語る時には別に幼少期から振り返る必要はないかもしれませんが、その方が思いの強さや人間的成長の度合を鮮明に描きやすいかもしれません。また、エッセイ全体のメッセージが、”take the initiative”なので、何があっても率先して物事に取り組み、そして成長していく、そういう曲線のようなものがにじみ出るように意識しています。

エッセイ2(大変だったこととか書くやつ)

・書き出しを意識した

“Trust is built with consistency.” – Lincoln Chafee

Lincoln Chafeeというこのおっさん、どうやら英国の政治家らしいですが、全く何の思い入れもなく、”Trust” “Quotes”をググることで運命の出会いを遂げました。私がこの人に思い入れがあるかどうかは読み手には分からないので、とにかくそれっぽさを追求。

・期間・金額等具体的な数字を入れてイメージが湧くようにする

「達成したこと」等を聞かれると、どうしても自分で「大型案件」とか「長期に亘る交渉」とか「最重要契約」とか言いがちですが、それはあくまで主観なので出来れば具体的な数字を入れて、そこから語らせるのが良い、らしいです。前の記事にも書きましたが、これを一般的に”Don’t tell, Show”と言うようです。例えば、以下の二つの文章、どっちが説得力ありそうでしょうか?

「すげーでかい部屋にさ、大量のダンベルがおいてあってさ、それがくっそ重いんだよね」

「東京ドーム三個分の敷地に、それを埋めつくす程のダンベルが保管されており、それはゆうに5000万トンを超える重量になる」

エッセイ3(学校を通じて何達成したいのかを書くやつ)

・書き出しを良い感じにした

“I owe GRR all my growth. It has given me roles I can be proud of.”

His answer shook my heart and entrepreneurship in Africa has become my key interest.

良い加減しつこい感じがしますが、でも、ほんまに書き出しは大事なんです。最初が肝心。基本的には同じ内容の文章の中から、ハイライトになる部分を先に持ってくるだけなのでそんなに難しい話ではありません。

・やりたいことは明確・具体的に

At Haas, I would like to incubate my idea of creating the first bank specializing in small and medium enterprises (SMEs) in Rwanda, while developing my

entrepreneurial capacity. I envisage using blockchain technology to establish a

reliable and economically viable banking system.

エッセイを書き始めた当初はここまで詰まっておらず、正直「アフリカで将来起業したいけど、自分でビジネスをやったことないので、経営の基本を学びたい」という非常に牧歌的なしょうもない内容でした。ここまで具体的に書いた方がやはり「何かやりそう」ですし、実際にここで考えたアイデアや聞いた話が基になって、今実際に起業の準備をし始めています(内容は若干違いますが)。

・貢献を具体的に書く

I would also be excited to further activate African entrepreneurship at Haas by bringing

diverse perspectives of Japanese entrepreneurs in Africa. I have discussed this

possibility with Ms. Fujiko ε Fujiko (MBA2), organizer of Haas 2015 Africa business

Forum.

これも前回の投稿で書きましたが、貢献というからには出来るところまでやっておこうという話です。私の場合は、アフリカに関するrecognition拡大の為、アフリカ関連ビジネスフォーラムの運営委員になる、という約束を前年主催者の学生と取り付けてそれをエッセイに書きました。今、実際に運営メンバーの一人として活動しています。有言実行えへん!

ということで、こんな具合でしょうか。何か質問等あればいつでもメールどうぞ。

*1:Haas School of Business非公式Websiteに掲載した記事を転載

もしもエッセイがラブレターなら

*1

 

午後8時過ぎ、大半の部活が終わった放課後のロッカーは静まり返っている。日中の喧騒が嘘のように。

一度ぐるりと周囲を見渡す。念のため、もう一度。よし、誰もいない。和紙に薄い花柄のついた小さな便箋をそっと鞄から取り出す。皺にならないよう、そっと。

ついにこの時が来た。結果がどうあれ、ここまで勇気を出した自分を褒めてあげたい。でも、やっぱり本音を言えば、上手く行ってほしいに決まってる・・・

そんなことを考えながら、扉のくぼみに手をかけた。

 

 

ガッサアァァアァァァァァアアアァァァァァァァアアァァアァァアア!!!!!

 

 

さくらちゃんの下駄箱から溢れ出す無数の便箋達。その数たるや5,000を下らないだろう。床は無数の便箋に埋もれ、もはや夢の島埋立場の様相を呈してきた。

 

これが、学園のアイドル・さくらちゃんの人気・・・!!!!

 

便箋の一つを手を取ってみる。なんと、ちょっぴりレトロなアニメ好きのさくらちゃんに合わせて涼宮ハルヒのシールで便箋を綴じているではないか。文具好き心をくすぐるモンブランの万年筆を同封しさくらちゃんの手首の疲労を最小限に抑える気づかいを見せる者や、千疋屋のマンゴー丸ごとをお届けし甘党さくらちゃんの味蕾を破壊せんとする強者も。ディズニー好きで名を馳せるさくらちゃんの理想のデート像を友人経由で調べあげ、「既に、京葉線TDL、そしてホテルミラコスタを貸し切りました」と前のめり感が地面陥没すれすれの者さえいる。

 

これだけの数がある上、そして、誰しもが徹底したリサーチ(ストーキング)の上に必殺の一撃を込めている。もはや開封してもらうだけで一苦労、その上、目を通してもらい、更に素敵と思わせて、あわよくばデートに漕ぎつけるなど指南の技なのだ・・・。

 

そう、MBAのエッセイも同じだ。

 

それは、学園のヒロインをラブレターのみで仕留める行為に等しい。MBAの場合、相手は人間ではないから、あわよくば同じクラスになって・・・、同じ部活に入って・・・、友達同士でカラオケに行って・・・、と言ったチャンスはほぼない。そもそも外見は評価対象ではないし、あなたの性格を含めた実力は、紙一枚で表現するしかない。

 

そして、この勝負はあなたがイケメン・イケウーメンであればあるほど難しい側面がある。大学受験、就活、転職、はたまたMBA社費選考まで、様々な場面で相応の実績を残してきたし、それに見合う実績があるからこそ、MBA受験という大仕事に向き合っているに違いない。しかしながら忘れがちなことは、相手も同じような経験値、職業人としての高い意識を有しているからこそ、あえて大金を払ってMBA受験を目指しているという事実だ。しかも、日本だけでなく世界中から。いかにあなたが素晴らしい3Pポイントシューターであっても、相手が全員山王工業出身者であれば勝つのは容易ではない、そういうことだ。

 

更にややこしいのは、受験を始めたタイミングから自分を変えることは出来ないということだ。あなたの実力を示す仕事や私生活における「実績」も、MBAやその先を見据えた「動機」も過去の経験に根ざす他ないから変えることは出来ない。キテレツを買収して抗時機を使うだけのヒューマンスキルと財力があるのであればそもそもMBAに行く必要などいないだろう。

 

しかし、今からでも簡単に、そして、劇的にBeforeとAfterをリフォーム出来ることが2つだけある。

 

それがエッセイの「書き出し」と「学校への貢献方法」だ。

 

けっ、またもったいぶったこと言いやがって?俺の両親は太宰治芥川龍之介だ。徹底的な英才教育を施され、3歳から漢文を読み下し、5歳でラップ、10歳でサランラップまで極めた男だぞ?そんな俺に文章の講釈たぁ、大した度胸じゃねぇか?

という方には必要ありませんが、それ以外の人には何かしら役に立つかもしれません。

 

友人から「さくらちゃんは、なんでも引っ張ってくれるタイプの人が良いみたいよ?」とアドバイスをもらったら、どうラブレターを書きだすだろうか?ともすれば、こう始めるかもしれない。

 

「さくらちゃん、ずっと前からあなたのことが好きでした。僕と付き合ってもらえないでしょうか?お付き合いしたら、しっかりさくらちゃんをリードしていく自信があります。自分で言うのもあれですが、小・中と続けてきたバスケットボールではずっと主将で、周りを引っ張る経験をたくさん積んできました。お付き合いという形で通用するかは分かりませんが、とにかく精一杯頑張ります」

 

 

全然ダメだ。バスケットボールうんぬんの問題ではない。書き出しがぬるいのである。ずっと前から好きなのは自明だし、ラブレターなんだから付き合って欲しいのも言うまでもない。そして、「引っ張ってくれるタイプ」を求めている相手に対して、「引っ張っていけます」と言うのでは何の芸もない。それは自分で言うものではなく、文章の中から滲み出させるものだという論点もあるが(これを英語で”show, don’t tell”と言ったりする)、それ以上に、万人が考えうる安直な回答を書いては、5,000通のラブレターのうちのしがない1通にしかならないということだ。

 

例えば、こんな書き出しはどうか。

 

「キャプテン、俺たちが間違ってたよ。明日からはドリブル練14時間、しっかりやろう」

真夏の蒸し風呂のような体育館で、汗ぐっしょりになった僕らは、最後の最後に、ようやく分かり合えたのでした。

 

・・・

これは情景から始めてみる、という作戦である。相手をストーリーのど真ん中に引きずり込むことで、「続きを読みたい!」と思わせる技だ。ここからどうやってさくらちゃんへの愛に結び付けるのかさっぱり不明だが、とにかく続きを読ませることは出来るはずだ。

こんな書き出しもあり得るだろう。

6万人・・・ざっとこんなところでしょうか?

 

・・・

気になる。気になりすぎる。たった一人への愛を伝えるラブレターの冒頭が6万人とはスケールが違いすぎる。これは、数字を示す、という作戦だ。たけし(仮名)は6万人の傭兵部隊を率いて、カムカッチャ共和国第二の首都チュッパチャスップをゲリラから奪還した時の経験を基に「さくらちゃんをいかなるシチュエーションでも引っ張っていける」という主張を立論しようと目論んでいるのだが、その中でもインパクトのある数字を提示することで、この経験の質の高さを際立たせている。

こんな言い方も出来るかもしれない。

 

「弱気で、引っ込み思案な程、実は相手を引っ張るのが上手いって知ってました?」

 

・・・

意表を突くという作戦だ。開口一番、相手の常識・固定観念を徹頭徹尾破壊している。「引っ込む」と「引っ張る」が共存するその鮮烈なパラドックスに、さくらちゃんも瞬く間に恋のラビリンスに迷い込むに違いない。

更にもう少しひねりを加えても良いかもしれない。

春の羽毛のように柔らかで、秋のそよ風のように凛としている。

そんな男です。僕は。

 

・・・

ただの変態だ。そこに疑いの挟みようはない。しかし、ポイントはそこではない。比喩を使うというマジックが、ここには隠れている。相手を引っ張るという点で有効かは別にして、白毛のアヒル面したおっさんが風に揺られて北東に流されていく様をイメージしてしまったのではないだろうか?それほどに比喩というのは、相手に強烈な映像を惹起させる。そうなればしめたもの、さくらちゃんは最後まで読まずにはいられないはずだ。

そして、もう一つ忘れてはならないのが、「学校への貢献」だ。これは、付き合ったらどんな良いことがあるのか?に相当する。相手を引っ張ってくれる人が好きなさくらちゃんに、「付き合ったら良いことがある」と思わせるには、周到なデートプランがあると思わせるのが一つの作戦だろう。だとすれば、こんな文章で攻めるかもしれない。

さくらちゃん、お付き合いしたら是非TDLに一緒に行きたいなと思います。僕もディスニーは昔から好きで年5回は行ってるので、かなり効率的かつ楽しく回れますよ!

 

全く踏み込みが足りない。

 

僕は浦安生まれ、ディズニーストア育ち、メルヘンなやつとは大体友達。お付き合いしたら無論、TDLに行きましょう。既に、京葉線TDL、そしてホテルミラコスタを貸し切りました。

 

最低限このくらいはやって欲しいのである。要するに、何かをやるというからには、出来る限界までやっておこうということだ。「こういう経験があるから、こう貢献出来る」というのは、どれほど確からしい経験に基づいていても、推測や希望的観測に過ぎない。入学する前の今の時点で、その貢献を出来る限りセットしておくことが、「お、こいつやりそうだな」と思わせる、すなわち、何千通の他エッセイの中で抜きんでる鍵なのである。京葉線TDLホテルミラコスタまで貸し切ったとなれば、付き合った暁には東京ディズニーリゾート三昧のデートが出来るに違いないと確信出来るが、「ディズニー好きなので、大丈夫です」と言われても、大して説得力がないのだ。

 

ということで、「情景」「数字」「常識破り」「比喩」「貢献への踏み込み」、これらのエッセンスを駆使して、エッセイに仕上げのブラッシュアップをして頂ければと思います。最後に、お手本として、完成版・さくらちゃんへのラブレターを掲載しておきます。

 

***

6万人・・・ざっとこんなところでしょうか?

これは私が小・中とキャプテンを務めたバスケットボールチームで束ねてきたチームメンバーの数です。

ある者は浦安生まれ、ある者はディズニーストア育ち、そしてまた別の者はラップのリズムに乗って「メルヘンなやつとは大体友達」と言い出す始末・・・

価値観も、家庭環境も、そしてポジションもてんでばらばらの私たちは、もはやチームとは言えない状態でした。政令指定都市と言っていいくらいです。

ある日の練習中、ポイントガードの流川彦一が、突拍子もないことを言いだします。

「お付き合いしたら無論、TDLに行きましょう。」

誰と、誰の、お付き合いなのか。そして、なぜ「無論」と比較的強気の論調なのか。全く事態が呑み込めず困惑する僕に彦一はさらに畳みかけます。

「既に、京葉線TDL、そしてホテルミラコスタを貸し切りました。」

早い。仕事が早すぎる。こちらが相槌も打つ間もないうちに、会場はおろか移動手段まで押さえたというのか。ホテルミラコスタでは6万人は到底収容出来ないという点を除いては、完璧という他ないロジスティクスでした。

 

私はすかさず、その点を詰めました。

 

ホテルミラコスタの延べ床面積は46,000㎡。キッチン、用務室、事務棟全てに人間を敷き詰めたとして、0.76㎡/人だ。人間を、タテ・ヨコ8.7cmずつのスペースに圧縮する必要がある。構わないかい?」

しばしの沈黙の後、彦一が再び口を開きました。

「キャプテン、俺たちが間違ってたよ。明日からはドリブル練14時間、しっかりやろう」

真夏の蒸し風呂のような体育館で、汗ぐっしょりになった僕らは、最後の最後に、ようやく分かり合えたのでした。

春の羽毛のように柔らかで、秋のそよ風のように凛としている。

そんな男です。僕は。

さくらちゃん、付き合って下さい。 たけし(仮名)

(完)

*1:Haas School of Business非公式Websiteに掲載した記事を転載

安心して下さい、面接に落ちたのはあなたのせいではありません

*1

 

先般は弊社の面接にお越し頂まして有難う御座います。

厳正なる選考の結果、誠に残念ながら、

今回は貴意に添いかねる結果となりました。

ご足労頂きながら不本意な結果となり、

大変恐縮ではございますが、

何卒ご了承いただければ幸いです。

末筆ながら、貴殿の益々のご活躍を

祈り申し上げます。

***

祈られた・・・

ここ数年は売り手市場になっているとは言え、2008年のリーマンショック以降に日本での就職活動を経験された方であれば、受験企業から「お祈り」された経験は一度はおありだろう。採用されるかどうかは運や相性の問題が大きいと分かっていても、やはり「あんたはしょぼいです」と言われている気がして気持ちの良いものではない。そもそも活躍しなかったから落ちたのに「益々活躍・・・云々」と言われたり、絶対祈ってないのに「祈ってます」というライトな嘘を疲れると余計に腹が立つものだ。

本当に祈っているとするとすごい。「祈り(いのり)とは、神などの人間を超える神格化されたものに対して、何かの実現を願うことである」とwikipediaは言っている。従い、益々のご活躍を祈念するには、①少なくとも神などの人間を超える神格化されたものと②益々のご活躍の様子を確りとイメージする必要があり、①は一般的に信仰心の浅い日本人には骨が折れるし、②は「益々」である以上、これまでの活躍を想定した上でそれを超えるパフォーマンスを想像するという二重の規定を要する。観音様か、スサノオノミコトか、はたまた、トイレの神様か・・・特定の宗教の信者でない限りまずこの神様セレクトに5秒はかかり、活躍のbeforeとafterの想像にそれぞれ15秒を要するのは間違いないだろう。合計35秒。

「ええと、田中さんは~、そうね笑顔が素敵だったたね、昔からずっと笑顔だったんだろうねでも、さすがにグループディスカッションでみんなでブレストしている間中ずっと笑顔はさすがにきつかったよね。「ソースは?」って相手の論拠を攻撃しながらの笑顔はやめようね、、、ねぇ、フェイスヨガの神様、、、田中さんにもう少し笑顔の緩急を指導してあげて下さい、心から祈ります」

このくらいの感じだ。これを5秒くらいのインターバルを空けて、すべての受験者に対して実施するのが、お祈りという行為である。ワンセット40秒。

一部上場の大手日系企業ともなれば、受験者数は1万人規模になる。そこから合格するのはわずか数%なので、1万人前後にこのお祈りを捧げることになるが、この1万人に対して、確りとお祈りを実施すると約111時間かかる(10,000人 x 40秒 ÷ 60(分換算) ÷ 60(時間換算))。お祈りメールは概ね下っ端の1-2人の仕事であるから、一人当たり約55時間、すなわち丸二日超不眠不休ノーシフトのお祈りを二人で実施して初めて、不採用通知が出せるということだ。最近はAIにこの一連の観念的な動きをディープラーニングさせて、よりディープにかつ短い時間でお祈りをする新サービス「ディーププレイ」も登場している。

相次ぐお祈りメールに嫌気がさしてしまった時には、この舞台裏を思い出すことで少しでも溜飲が下るのではないかと思う。参考にしてほしい。

そういう話ではない。

そもそもこの採用と言う営み、特に採用面接なるものがどれだけ意味があるものなのか、私は気になって仕方がないのだ。

最近、私は学内公式のベンチャー投資コンペのチーム選考委員をやってみた。シリコンバレーに近いという土地柄もあり、ベンチャー投資への学内の一般的な関心は高く、このコンペもビジネススクールを含めた様々な学部からの応募があり、6チームの枠に30チーム近くが応募するという活況を見せた。

このコンペはその後に続く地域予選と世界大会への最初の予選という位置づけもあり、選考側としては、地域予選・世界大会で勝てる強いチームを選出することが目的だ。ちょうど必修授業で効果的な採用方法はなにか?というトピックがあり、「自由な質疑形式ではなく、固定の質問を全ての受験者にする」(structured interviewと呼ばれるもの)、「実際に必要とされる作業をサンプル化したものが効果的」と紹介されていた為、実際に面接形式としてそれを取り入れてみた。

まず、何がチームの勝利に必要な要素か?を選考委員チームで議論した上で、「ファイナンスの基本的な理解」「その他分野を含めた広範な知見」「それらを説得力ある内容にまとめあげる論理構成力」「チームとしてのやる気とチームワーク」あたりが大事だと考え、それに見合う質問を用意した。また、各質問に対し、一つ一つスコアを付けるようにし、総合点で各チームを比較できる表を作成した。加えて、選考委員4名のうち、最低2名は面接官として入るようにし、得点が個人の感覚に偏らないようにした。

昨日選考が完了。その結果はどうだったか・・・

ものすごく難航したし、今もその選考方法がベストだったか100%の自信はない上、それがベストだったか調べる術もない

というのが本音のところ。ざっと考えて以下のような問題がありそうだ。

<評価の統一性>

まず、面接官全員が統一して全ての受験者を見ていないから、たとえスコアが同じでも同じものとして評価しづらい面がある。例えば、Aチームの面接を田中・山崎が、Bチームの面接を佐藤・山崎が実施し、総合スコアが一緒だったとしよう。この時、山崎個人のスコアがA>Bだった場合、どう判断すればいいのか?本当に実力としてA>Bなのか、それとも、山崎個人の感覚なのか、どっちが正しいという術はない(*)。本来であれば、4人全員で全ての面接をすべきだったが、時間の制約上難しかった。でも、それは企業の面接であれば当たり前のことで、人事部が数千人を面接するなどあり得ないから(普通は社員を面接に駆り出す)、この統一性の問題はいつでも生じるはずだ。極端な話、受験者の視点に立てば、自分と趣味のあう人や甘く評価を付けてくれる面接官に当たればラッキー♪ということだ。

(*)統計的に言えば、数千人を面接官として用意し、スコアの分布を見ればなんとなくどのくらい山崎の感覚がはずれているかを見ることは出来なくはないが、色々あり得ないし、山崎がアホなのか一般人より優れてるのかは以前不明なので意味ない

<評価の客観性>

たとえ面接官を統一出来たとしても、どうスコアをつけるか?という点には当然面接官の中でばらつきがある。面白いことに(また、面接官も人間なので当たり前でもあるが)、質問の回答に対するスコアが面接官の間でばらつくことは多々ある。そうすると、面接官全員一致で80点を付けたチームと、スコアのばらつきが大きいが平均すると80点になるチームのどちらを優先すればいいのか?

「ばらつきがある方が異端児だ。一発ホームランの可能性あり」とか「全体的に安定している方が本番でもパフォーマンスは高いだろう」等、それっぽい理屈はつけられるが、判然としない。要は、ある質問に対して、ある回答がGood/Badだという基準があいまいなのだ。あなたの強みは?という聞かれて「私は時間に遅れません。待ち合わせはもちろんのこと、何か約束事はかならずきっちりと履行し、どうしても間に合わない時には事前に調整します」という答えた学生を、当たり前じゃないか?アホか?と評価する人もいれば、基本が出来ていて素晴らしいと評価する人もいるかもしれないという話だ。

<質問の有効性>

質問は目的に沿っているのか?という原初的な問題もある。例えば、リーダーの統率力を見る為に、「短い時間軸で、他の人たちを引っ張って何かを達成した経験を教えて下さい」と言う質問を今回の面接で投げかけてみた。これは果たしてリーダーの統率力を測る質問たりえているのか?上記の「評価の客観性」をさしはさむ余地がない程、明らかに良い/悪い回答はいくつかあったが、それは単純にこの質問が「想定内」「想定外」だっただけであり、純粋にリーダーシップがあるかを測っていないのではないかという疑問を拭い去ることは出来ない。特に、本当に想定外だった場合、この質問をした瞬間に「ギクぅぅぅぅうううっ!」という顔をし、回答を練る迄に時間を要し、回答もあまりまとまりがないものになるというケースが多々あったが、それは単純に「準備」の問題であって、実力とは関係ないかもしれない。それでも、ある質問に対して回答の良し・悪しの差があれば、良い方を選ぶに決まっているのである。

<目的とパフォーマンスの関連性>

仮に目的に沿った人(ほしい能がある人)を採用出来ていても、実際のパフォーマンスとは一義的な因果関係にないというのは言うまでもない。採用した時点から、本番までの成長、本番での体調、メンタルコンディション、出される課題との相性、はたまたそれまでに揺れ動くチームの人間関係等、様々な要素が絡み合って、最終的なパフォーマンス(この場合、投資コンペで勝つこと)が決まる。会社に置き替えると更に曖昧なことになっていて、そもそも本番はいつかという明確な線引きもないし(毎日が本番、と言える程ニッポンのサラリーマンは緊張感を持っ仕事をしていないと思う)、大規模な分業が前提の働き方では個人の成果も見えにくい。仮に大型プロジェクトを成功させた!という若手がいても、彼は元からそれをやる実力があったのか、入社後に成長したのか、そもそもそれはだれがやっても同じなのか、確かめる術はない。

上記を勘案すると、採用活動と言うのは以下のような営みということになる。

・何が成功か定義しづらい曖昧な活動で成功できる人を見つける為に

(いきなり矛盾している笑)

・その成功に必要な能力を定義し

(成功が曖昧なのになんで能力がわかるんだ笑)

・その能力を測れる質問を用意して、受験者に投げかけ

(なぜその質問なんだ、他の質問じゃだめなのか。そもそもなんで質問形式なんだ)

・その回答を、面接官が主観的に判断し

(なんで質問しただけで能力が分かるんだ。スカウターか笑)

・別の面接官が主観的に判断した評価と比べて、対象者の評価を決め

(主観vs主観 笑)

・別のチームを評価したまた別の面接官の主観的判断と比較し

(主観の平均値vs主観の平均値)

・その他諸々を総合的に勘案し採用者を決め、他のクズ共には30秒間の祈りを捧げたのち

(最後は「総合的」でごまかす)

・採用した後はそいつがどんなチョンボをしても「採用のせいだ」と言われる程成功との因果関係は強くないので(いや、部署での育成でしょ?とか他社に比べればマシです、とか言い返そう)、知らぬ顔をしておけばOK、安心して下さい

という活動だ。

こう考えると、お祈りメールをもらってもちっとも悲しくないではないか?目的にも手段にも自信を持てない採用活動という暗闇をひた走る採用担当者達は、そんな陰鬱たる日々に少しばかりのカタルシスを求めて日々「お祈り」を捧げているのだ。採用担当者の鎮魂歌、それがお祈りメールだ。

***

ちなみに、じゃあどうすれば受かりやすくなるの?ということに関して、今回の採用活動を通じて私が感じた重要そうな要素。

・時間通りに来る

当たり前だが、結構印象が違う。本件でも、チームメンバーがそろっていないチームと、初めからぴちっとそろっているチームでは、やはり後者を取りたいというコンセンサスが生まれた(やる気を示す指標でもあるかもしれない)。

・ちゃんと集中する

これもスーパー当たり前だが、他の人が発言している時に下を向いている、爪をいじっている等している人は結構目立ったし、他の面接官も大体気づいていた。上記同様印象が良くない。面接で爪をいじることと、本番でのパフォーマンスに逆相関があるかどうかは何も根拠がないが、他の要素が同じ二人の受験者がいた時に、あえて爪をいじっていた方を選ぶ理由もない。

・質問に答える

質問にストレートに答えてくれないと結構いらっとすることを学んだ。笑 例えば、リーダーシップ経験を聞かれた時に、その状況を自体を殆ど説明せずに抽象的な学び(how to motivate peopleとか)を語りまくる人が居たが、それがどんなにすごい内容であっても(実際そいつは200人くらいの部下を率いたと言っていた)、殆ど頭に入ってこない。従い、評価は非常に低くなる。きちんと質問自体に答えること、その上で、自分が言いたいことを重ねていくのが吉だろう。

・ちゃんと準備する

本当に実力と関係があるかは怪しいのだが、爪をいじる話と同様、同じ内容であれば「すらっ」と答えられた方が印象が良い。言いよどんだり、考え込んだりしてしまうのは、それだけで×では決してないのだが、比較論になると、やはりスラスラ回答出来る人の方が高評価になるものだ。少なくとも準備してきたことが伺えるし、準備してきたという事実は一定のやる気の指標にもなる。

・サプライズを用意する

若干飛び道具的だが、要求されている以上のものを何か持ってくるとかなり印象が良い。本件の場合、出願書類を要約・図像化したパワポの資料を持ってきたチームがいて、殆ど全ての質問に対して、「それはページXXにあります通り・・・」と資料に沿って説明をしてくれた。これは相当に印象的で、説明がぐっと分かりやすくなるだけでなく、それだけの時間を投下したという事実が圧倒的な「やる気」感を示していた。このチームは最終的に代表として選出された。

年明けにはMBA受験の2 Round、そして、(対象者が読み手にいるか不明だが)春以降には企業の採用活動が本格化する。是非上記を参考に、メンタルヘルスを整えつつ、数多の企業面接で無双して頂ければと思います。

*1:Haas School of Business非公式Websiteに掲載した記事を転載